Sanpouji Storyteller

交錯する都会の中で織りなす5人の男女の物語

眼鏡とベストとギンガムチェック(15)-霞の章Ⅳ

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ご返信ありがとうございました。
申し訳ありませんが、急に海外出張の予定が入ってしまいました。
帰国後早急にご連絡申し上げます。新島

 
新島に会う決心をして、送ったメールの返信は、あっさりと武の出鼻をくじいた。
待つしかない。美佐はどうしているだろう。じりじりと無為に日が経った。
新島が帰国したと言ってきたのは1か月後、武がすっかり憔悴した頃だった。
日時と南青山のファミリーレストランを指定し、
「少々遅れるかもしれません。私は紺のベストを着ていきます。声をかけてください」と書かれていた。

新島俊彦。紺のベストを着た男。
少なくとも、まっとうな出立ちの男。
やっと次の段階にいけるという安堵感もすぐに消えた。
もしかすると、後ろに「やばい人」がいるかもしれないな。
詐欺の組織とか、仲間の若造に囲まれて金だけ奪われるとか。
会う日の前日、職場で介護ベッドの資料を整理するふりをしながら、武は嫌な妄想に囚われていた。
俺は相当やられているらしい。

 

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「一ノ瀬さーん。なんか食べ物持ってないっすか?」
後輩の藤木が寄ってきた。
「僕、腹減って痩せちゃいそうなんですよ」
痩せろといいたくなる巨漢。しかも強面。
何故か武に懐いている。

「そうだ!藤木さ、明日の夜空いてないか?夕飯おごってやるよ。ファミレスだけどね。デニーズ青山」
「え?いいんすか?デニーズ最高ですよ。うれしいなあ」
「俺、ちょっと人と会うんだけど、お前、離れたところで飯食べててさ、もしも俺が合図したら、来て、ちょっと凄んでほしいんだ」
「すげー!僕、そういうのやってみたかったんですよ」藤木は目を輝かせた。

とにかく用心棒ができた。外回りのついでに銀行へ立ち寄り、100万円を下ろし
思いついて、美佐から渡された封筒の札を新券に両替した。
封筒に入れたまま数えもしていなかったが、200万円もあった。
深い溜息が出た。必ず明日だ。新島とどんな話になろうと、その足で返しに行く。
金曜の街の賑わいを横目に帰宅した。軽い夕食を取り、風呂に入り、
少しウイスキーを飲んでベッドに入る。眠れそうもない。

着信音が鳴って藤木からメールが来た。
「どれ着ていったらいいですかね?」自撮り写真が3枚添付されている。
龍の刺繍のスタジアムジャンパーにニッカポッカ姿。
ヒョウ柄のセーターにヒョウ柄のマフラー。
真っ白いスーツにゼブラ柄のシャツ。
どれも黒いサングラスをかけて、金のネックレスをしている。
…こいつ何者なんだ。
「4番目」と返信した。写真を見て笑っているうちに眠りが訪れた。

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南青山のファミリーレストラン
夕食には少し早い時間帯のためか、庶民感覚がこの地には穴場なのか、客は数組しかいない。
奥の席を案内され、入口を向いて座る。
間もなく黒い塊の客がやってきた。藤木だ。
光沢のある黒いスーツに黒いシャツと黒いネクタイ。
もちろん、黒いサングラス。片耳にイヤホンを差し込んでいる。
ひょっとして、SPかなんかのつもりか?
及び腰の店員に、武の2つ斜め前の席を頼み、向い合って座ると、子どものように手を振った。
 

コーヒーをひと口飲んだとき、紺のベストの客が入ってきた。
武は立ち上がって手を挙げた。「一ノ瀬です」
男は頷いてテーブルに着く。「新島です」

淡いダンガリーのボタンダウンシャツに、ざっくりしたニットの紺のベスト。
やや長髪、端正な顔立ち。歳は仁兄と同じくらいか。チェロでも弾いたら似合いそうな男。
腕時計は茶色のストラップのオメガ。
それをちらっと見て、「お待たせしました。早速ですが」と言って目を合わせた。

「仁さんとは、友人の飲み会で知り合いました。大学の友人が、異業種交流みたいなことを考えて、人集めしたんです。3年くらい前です。
仁さんとは、私の仕事の話で盛り上がりましてね。あ、商社務めなんですが。アパレルの実情とか、私が詳しいものですから。
一ノ瀬さんが、新島さん、あなたいい仕事してますねって感心してくれまして。それから時々そのメンバーで飲んでいました」


新島は運ばれたコーヒーに口をつけ、優雅な手つきでフレームレスの眼鏡を外し、
バーバリーのハンカチでレンズを拭った。

「それが、だんだん人が変わったというか、暗くなったといいますか。
友人たちと、最近一ノ瀬さん変だね、と話していたくらいでした。
ある時、一ノ瀬 さんが珍しくずいぶん酔いまして。慰謝料に追われていると口にしたので、みんなで問いただしたんです」

仁兄は、勤め先のクリニックで骨折治療後のリハビリをしていた女性から、
恋愛感情を向けられるようになった。
穏便にかわしていたのが裏目に出て、ストーカー的に執心がひどくなり、
女性の親も一緒になって、騙された、詐欺だと逆恨みされ、慰謝料を払わされている。
職場も居づらくなったのか辞めてしまい、自暴自棄な生活を送っている。

それが、新島が語った仁兄の現状だった。

 人の命に関わるような事件かと思っていた武は、女性問題と聞いて、何となく拍子抜けした。
「まあ、お優しい方ですからね。女性からは、好意だと勘違いされることもあるでしょう」
お優しい方?武は新島に説明のつかない苛立ちを感じ始めていた。
「患者は、治療者にそういう感情を持ちやすいものです。仁叔父も知っているはずですから、大ごとになってしまったことの方が不思議ですね」
「問題は、あちらの親御さんが、あのー、面倒な方で」
わかりますね?と言いたげな顔をする。
新島の肩越しに、藤木が嬉しそうにステーキを頬張っている。
さっきまでオムライスを食べていたはずだが。
「親御さん」とは戦えないだろうな。

「いただいたメールに、友達に無心している、とありまして、驚きました。
 失礼ですが信じ難いんです。叔父はそういう人ではなかったもので」
「武さん、人は変わるものです。私たちも一ノ瀬さんを信頼していましたから、正直、残念で仕方ありません。
友人の一人は、仁さんが借金を返さないのを憤慨して、最近は過激なことも口にするようになっています。
武さんが、本気で、100万円の礼金と書かれたのかどうかはわかりませんが、
現実に問題になっている金額は、それどころではないんです」


武が黙っていると、新島はボッテガヴェネタのバッグからタブレットを出した。
「武さんが疑わしく思われるのも当然です。仁さんの最近の写真です」
内装の違う2軒のバーのようなところで撮られたものが5枚。
うつろな表情、髭も髪も伸びて、別人のようにすさんだ仁兄の写真だ。

「私は今日、仁さんの現在の住所を持ってきました。
武さんがブログで書かれたとおりに、100万円と交換しても構いません。
ただ、仁さんはそういう状態ですから、あなたに会いたがらないと思いますし、
会っても、私がお話しした以上のことはでてこないはずです。
ですから、住所を知るよりも、仁さんを援助するか、既に憤慨している友人にそのお金を回して、これ以上状況を悪化させないほうが、得策なのではないでしょうか。
私が間に入って、穏便に、お金を受け渡しすることはできますから」

言いながら、クロコダイルのカードケースを取り出し、名刺を差し出した。
商社の名前と、「欧州アパレル事業部スーパーバイザー」の肩書きがある。

「実のところ、私も仁さんに少なくない額をお渡ししました。
でも、それはもういいんです。会社でもある程度のポストを任されて、それなりのペイもとっていますし、幸いに投資もうまくいっています。
ただ、友人が窮状に甘んじているのが、残念で、なんとか立ち直ってほしいと」

 
新島は、悲しげに目を伏せると、また眼鏡を外してハンカチを探る。
武は、テーブルに置かれた眼鏡をじっと見た。
テーブルに貼り付けられた、「ストロベリーフェア」のメニューを見た。
眼鏡のレンズ越しの、ウサギのイラストを見た。
なんでこの男は伊達眼鏡をしているんだ?

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気に入らない。何もかも気に入らない。
自分は善人で金があると見せつけ、面倒な親と過激な友人という、危険な状況があると言っているわけだ。
そして、100万では終わらないことも匂わせている。
新島に待たされたのは1ヶ月。
それだけあれば、プロットを練って、名刺を作り、写真を加工することもできる。
武を焦らして精神を疲弊させることもできる。
新島は、確かに仁兄の知り合いだろう。
プジョーの話も、口癖も、知っていて不思議はない。
それを利用して、仁兄になりすましてメールを偽装することも、
慰謝料だの借金だの、でっち上げることもできる。
嘘か?俺が信じたくないだけか?どっちだ。
信じられないと席を立つこともできる。
でも、本当は本当だったのかもと、一生後悔しないか。

仁兄の友達は、豪快でさっぱりした男が多かった。
馬鹿げた理由で金を貸せなんて言ったら、真剣に喧嘩するような男たちだ。
そして、
武は、美佐が封筒を渡した時の、戸惑った不器用な手つきを思い出していた。
友達に金を渡す羞恥を、この上品ぶった男が知っているとは思えない。
この話を信じてはいけない。武の腹の底が叫んでいる。
頭は、その根拠を見つけようともがいている。

美佐、美佐はどうして俺を信じた?
理由も聞かないで、何の条件も付けないで大金を出した。ただ、俺だというだけで。
俺が俺だという、それだけで。

武は組んでいた腕を解いた。天井を見上げて、その上にある空を思い浮かべる。
それだけでいいんだ。


「新島さん、その女性は何故仁叔父を信じなくなったんですか」
「はい?」
武は座り直して、新島を見据えた。
「どんな決定的なことがあったというんでしょう。ストーキングから、逆恨みに変わったのは。恋愛感情がいきなり慰謝料の話にはならないものでしょう」
「それはですね、ちょっとした、暴力といいますか」
「詳しく言ってみてください。仁叔父は、暴力をふるう人間ではない」
新島の目が泳いだ。
「もちろん、仁さんは暴力的な人ではありませんが。えー、しつこくされたのを振払って、転倒させたそうです」
「故意に?傷害事件ということですか?」
「いいえ、事件として警察沙汰になったわけじゃなくて。振払ったつもりが、ちょっと転んだだけで」
「ちょっと転んだ傷の慰謝料?」
「いいえ、つまり精神的苦痛ということです。たいした怪我じゃなかったんですが、女性が過剰反応しまして。そうそう、それがホームだったんです。それでトラウマになって外出が怖いとかで社会生活が送れないとか」
「ホーム…」
「駅のプラットホームです」早口になって続ける。
「で、女が、線路に突き落とそうとしたとか、殺そうとしたとか、大騒ぎして、それで口論になって」
「駅のホームで騒ぎをおこした、ということですか?」
「ええ。ちょうど通勤時間帯で、野次馬に取り囲まれて、大混乱になって、女がパニックになって。注意した駅員とも揉めたらしく。あ、でも、お調べになっても、電車の遅延はなんとか免れたんで記録は残ってないはずで…」

 
ペラペラ喋り続ける新島が遠くに見える。
仁兄、今ごろ、どこで何をしている?
俺は今、テープを切ったよ。
武は首を振って新島を制した。
 
「新島さん。これは、仁叔父の話ではない」

俺たちは正しい乗り鉄ですから。それは声に出さない。教えてやるもんか。
新島の顔から色が消えた。
新島の向こうで、藤木が武を見て、メニューを指差し首を傾げている。
もっと注文していいかと聞きたいのだろう。声を張って答えた。
「端から食っていいぞー」
新島は武の視線を追って振り返り、藤木を見て腰を浮かした。