Sanpouji Storyteller

交錯する都会の中で織りなす5人の男女の物語

眼鏡とベストとギンガムチェック(17)-水の章Ⅳ

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あの日から2週間が経った。
日に日に鮮明に記憶が甦った。
凜……
母親に全てを話し、事故の詳細を聞いたが実感は無くて、あの街に行けばまたすぐに会えるような気がした。封印していたその頃の写真は実家に帰った時に見れるようにしておくと母は言っていた。
あのまま生きていたらどんな女性になっていなのだろう。今でも友達でいられたのだろうか。考えるうちに凜の家族の事も少し気になったが、知るすべは無かった。

凜の夢はもう見なくなった。
凜には夢の中でも会えなくなった。

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その日はお客様にトラブルがあり残業を余儀なくされていた。
美波の職場はアジア専門の旅行代理店でツアーは勿論、航空券・ホテルやダイビング・マリンスポーツの手配など多岐に及ぶ。旅行、特にビーチリゾートが好きなのでいずれは海外で仕事をしてみたいという思いがあり、この業界に足を踏み入れたが現実はなかなか厳しかった。

トラブルのツアーのお客様は予定のフライトがキャンセルになり現地に足止めされていた。なんとかホテルを確保し翌日の便に乗れるように手配を終えて一息着いたのは20時を回っていた。
奏太に「一杯行く?」と誘われ久しぶりに二人で飲みに出掛けた。

冷えたビールを飲んで一息ついた時

「これ、お土産」

と徐に奏太に渡されたのは可愛くてカラフルなシーサーの置物。

「お土産って沖縄の?
一緒にいたのにお土産…?」

「凜ちゃんが買うはずだったやつだよ。シーサーはニコイチだからな、凜ちゃんと美波だよ」と奏太は笑った。

「……ありがとう。嬉しいよ。あの時買ったの?空港で走り回ってた時。
でもさ、シーサーじゃなかったかもよ」

「それ言う?」

奏太は優しい男だ。いつでも美波の気持ちをわかってくれる理解者。
でも親友以外にはなれない。
いや、親友で十分だ。
奏太という存在が大切だから。

「ケリーは元気?最近色々あったし、しばらくお休みしてた」

「元気だよ、美波が来ないけど何かあったかと心配してたから仕事のせいにしといたよ」

将来を見据えて、英語があまり得意ではない美波は英会話スクールに通っているが、このところのバタバタでしばらく行けていなかった。
ケリーは美波の英会話の教師でもあり、奏太の恋人でもあった。イギリスと日本のハーフで笑顔がとても似合う人。
奏太の紹介でスクールに通うようになって半年、日常会話とビジネス会話も困らない程度に話せるようになっていた。

「近いうちに連絡しておくね。あんまりサボると怒られるから」

「だな。今度一緒に飯でも食おう」

そんな話をしながら久しぶりによく食べ、よく飲んだ。あの一件から心身共に少し参っていたが、靄が晴れすっきりはしていた。
また仕事を頑張ろうと思えた。

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そんなある日、美波は吉田に呼び止められた。また何がやらかしたかと心臓がドクンと波打った。

「唐突だが、ちょっと頼み事がある」

吉田にそんな事を言われたのは初めてで驚いた。
「私の友人、沖縄で会った男だ。
彼の息子が旅行に行くのにうちで手配してほしいと頼まれた。明日来社するから話を聞いてやってくれ。簡単な詳細は後で渡す。私は明日の朝から急遽宮崎だ」

頭の中にいくつかクエッションマークが浮かんでいたが、はいと返事をした。
確か沖縄で会っていたのは大学時代からの友人と言ってた。

美波はその日、久しぶりの英会話があったので、吉田から渡された資料はバックに放り込んで足早に会社を出た。


翌日出社してからはっと思いだし、慌てて資料を出した。最初に目に入った氏名欄には「稲嶺 凌」と書かれていた。

イナミネリョウ ?

いや、同姓同名の別人かも知れない。
沖縄なら稲嶺と言う名字は珍しくない。
しかし、もしあの凌なら…
凜の兄の凌だとしたら…

これは偶然?そんな偶然がある?
頭が混乱した。資料を持つ手に力が入り動悸が激しくなる。
奏太に顔色が悪いけどどうかしたかと聞かれ、何でもないとその場を去った。

冷静になろう。
まだあの凌ちゃんだと決まったわけではない。兎に角会ってみないと分からない。
彼の来る時間まで仕事は手につかず緊張で吐き気がした。

吉田のお客様と言うことで、一般の受付ではなくミーティングルームが用意されていた。
16時、稲嶺凌はやって来た。
美波は受付から呼び出しがあったので身なりを整え向かった。

「失礼します」ノックをしドアを開ける。

座っていた彼が立ち上がり振り返る。
あれから長い月日が経っているがすぐに凌だとわかった。

「凌ちゃん?あの凌ちゃんだよね?」

美波は仕事を忘れ駆け寄った。

「美波、久しぶりだね」

「どうしよう。どうしてここにいるの?あたしの事知ってて来たの?
え、どうしよう、あ、元気そうで良かった。会いたかった!もう一生会えないと思ってた!ついこの前ね、凜の事で色々あって…
ホントにビックリした!」

しどろもどろになりながらも一気にしゃべってしまった。勝手に涙が溢れた。

「最後に会ったのは随分昔だもんな。大きくなったな。美波も元気そうで良かったよ」と凌は笑った。

「うん!でもあの、どうして吉田さんの紹介なの?」

「何から話そうかな?とりあえずここに来たからには旅行の話しから先にするよ」

「あ、そうだね。ちょっと待って、落ち着く」

「よろしくね。旅行に行きたいのは本当なんだ。久しぶりに、ちょっと先なんだけど長期で休みが取れそうだから」

凌はアジアのビーチリゾートへ10日程行くのが希望だが、ツアーばかりなのでフリープランで行きたい事、ダイビングをやりたい事、アジア方面は詳しくないので色々話を聞きたいと言った。
その場で思い当たるいくつかのプランを出し、検討すると言うことでその件を終えたが、内心それどころではなかった。

「仕事終わったらご飯でもどう?積もる話しもあるしね」

「もちろん!18時に終わるから下のカフェで少し時間潰しててくれる?」

「分かった、じゃ後でね。食べたいもの考えといて」

何て事だろう。
かっこよくて頼もしくて優しかった凌ちゃんだ。
何故ここに現れたのか、何故吉田の紹介なのか聞きたい事は沢山あったが、嬉しさと懐かしさの方が勝っていた。
と同時に凜の事も思い出された。
奏太に軽く事情を話すとそんなドラマみたいな事があるかとぽかんとしていた。
美波は自分の仕事を片付け、何かあったらお願い!と奏太に頼み仕事場を後にした。

 

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「凌ちゃんお待たせ!」

「お疲れ様。さて何を食べたい?」

「任せる。何だか全然お腹空いてないの」

「そう?じゃ行ってみたい店があるからそこでいいかな?ちょっと移動しないとだけど」

カフェを出てタクシーで向かったのはシンガポール料理を出す店だった。
海南鶏飯、いわゆるハイナンチキンライスが美味しいと評判らしい。

細い階段を上がりドアを開けると、イラッシャイマセーと元気のいい声が響いた。
店内は明るくて広かったが、凌は窓際の角の席をお願いした。籐で出来たパーテーションで多少回りからは遮られていたからだ。

凌はタイガー、美波はアンカービールと青パパイヤのサラダとハイナンチキンライスをオーダーした。

「お酒も飲めるんだね、大人になったね」

「飲める飲める、そんなに強くはないけど」

一息ついて凌が優しい口調で話し始めた。

「美波、凜の事は思い出したんだね?さっき色々あったって言ってたからちょっと驚いたよ。良かった、思い出してくれてありがとう」

「うん。やっと思い出せたよ。随分時間かかっちゃったけど」

すぐに冷えたビールとサラダが運ばれてきた。

「そうか。じゃその話は後でゆっくり聞くよ。まずは昔話しからね。凜の事があって、沖縄にしばらくそのままいたんだ。慌ただしく時が進んで行くな、って俺は他人事みたいに思ってた。実感も無かった。もちろん悲しいとか寂しいとかいろんな感情はあったけどその時は不思議と冷静だった。
葬儀も向こうでやって、凜はじいちゃんのお墓に入ったんだ。1週間後、1度家に帰った。
あの時の事は覚えていないよね。美波のお母さんにそっとしておいて欲しいと事情を聞いて、会えなかった。凄く心配だったけど。それからバタバタと沖縄に帰ることが決まって、引っ越した。高校を出るまで向こうにいてその後帝都大に進学が決まって一人でこっちに来て、就職もしたからずっと東京にはいたんだよ」

「そうだったんだ。凌ちゃんは東京にいたんだね…凜は沖縄に眠ってるんだ。せっかく行ったのに知らなかったから…」

メインが運ばれてきた。
見た目もかわいらしくニンジンの花が飾ってあり、いい香りがした。

「また行けばいいよ。案内するから。
じゃ、美波が一番気になってる事ね。
親父の大学時代の1つ下の後輩が吉田さんなんだ。親父は沖縄にいるから、吉田さんが出張の時なんかにちょくちょく会ってたみたいだよ。古い付き合いだからね、きっと色んな事をたくさん話した中で当然凜の事も吉田さんは聞いたんだろう。凛の親友だった美波の事もね。
親父は凛と美波が大好きだったから。
恐らく最初はその美波が偶然にも自分の部下だなんて思いもしなかったんじゃないかな」

「そんな偶然…あるんだね。頭がついてかないよ」

美波は一気にビールを飲み干した。
料理はとても美味しいのだろう。
でも全く味がしなかった。
味覚を感じる余裕が無かった。

「吉田さんは親父の話を聞くうちに美波だと確信した。でも凜の存在は美波の中に無いから聞くに聞けなかった。機会を見計らっている時に沖縄出張が入り、美波も連れていくことにした。あの事故がきっかけなのは明白だし、もしも沖縄がキーワードになっているとしたら何か変化があるかも知れないって。
俺が吉田さんに会ったのはあの時が初めてだよ。親戚の集まりがあって向こうに帰ってたんだ」

「なんだか他人事みたい。怖くなってきた」

「詰め込みすぎかな?大丈夫?」

「大丈夫、それで?」

「ちょうど旅行の話しもあったし、凜の事は分からなくても俺の事は覚えている可能性もある。そこから全部思い出すかもしれないから一度会ってみてくれないかと言われたんだ。沖縄と俺のどちらかがきっかけになればいいって」

「吉田さんがそんな事思ってたなんて。いつも怒られてばっかりで嫌われてるのかと思ってた…」

「いや、すごく心配してたよ。そんな大切な友達の事をずっと忘れたままじゃダメだってね。でも俺に会わなくても思い出せたんだね」

「何であたしが沖縄に行くのか疑問だったんだ。吉田さん帰ってきたらお礼言わなきゃ。凜を思い出したことも知らせないと。凌ちゃんも会いに来てくれてありがとう」

何と不思議な縁だろう。
ずっと昔から、何百年も前からどこかで少しだけ、でもずっと繋がっていた。忘れても忘れても絶対に思い出して、思い出させてくれる人もいて今まで来た様な深い関わりを感じた。


それから、お互いの話を沢山した。
学生時代の事、仕事の事、凜を思い出したあの沖縄の海での出来事、それに至るまでの経緯、奏太の存在……
凌はwebデザインの仕事をしていて1年前に自分の会社を持った事。時間があれば潜りに近場の海へ行く事。
それと、あの頃の話し。

何時間話しただろう。気づくと閉店間際の時間だった。

元気の良かったスタッフは少し眠そうな顔をしていた。

「1週間後に旅行のプランを決めてまた会社に行くよ。今夜はもう遅いし送っていくよ」

凌はそう言ったが一人で大丈夫と言い別れた。

今夜は一人になりたかった。何だか宙に浮いているみたいな感覚だった。これは現実なのだろうか。長い夢を見ているんじゃないか。お酒のせいもあってかぼーっとしていて電車を乗り過ごした。

やっと部屋にたどり着いて玄関のドアを開けると、シューズBOXの上で仲良くシーサーが笑っていた。
つられて笑顔になりながら「ねぇ、あたしって幸せなのかな?」と問いかけてみた。