Sanpouji Storyteller

交錯する都会の中で織りなす5人の男女の物語

眼鏡とベストとギンガムチェック(20)-霞の章Ⅴ【終】

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第20章


次の予定がどうのこうのと、ごにょごにょと呟いて新島が退散するのを笑って見送り、
SP藤木のテーブルに紙幣を置き、そのコスプレを褒め讃えて武は店を出た。
そして、美佐に電話をしようとスマートフォンを取り出すと、美佐からメールが入っていた。


   武、なにはともあれ(笑) 今夜ご飯食べない?
   この前ひろってくれた交差点にフレンチのお店があったじゃない、
   行ってみようよ。
   大丈夫、わたしは、元気です。

もう、19時半をまわっている。返信する時間ももどかしく、武は走り出した。

 

 

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石を飲んだように胃が固い。ダメ元で来た私がバカだった。
賑やかなレストランの中で、美佐だけがひとりだった。
武のことを考えていたはずが、いつしか美佐は、父親の姿を思い出そうとしてた。
眉が太かった。タレ目だった。掌が大きかった。
祖父から継いだ理髪店で働いていて、膝に乗ると、いつもシャンプーのいい匂いがした。
あの時の額はどれくらいだったんだろう。
理髪店は、今は他人名義のコンビニエンスストアになっている。
もしも誰かが助けてくれたら、お父さんは返せていたのかな。
誰もが言った。「自業自得だ。保証人?甘かったな」…
助けてほしかった。
助けてくれたら、お父さんは絶対ちゃんと返せたのにって思ってきた。
なんの根拠もなく。
お父さんだから、というだけで。


隣のテーブルの少女の声で、美佐は我に返った。

「ねえねえお父さん、お母さんたらねえ、今日ねえ」
「やめてよお。内緒って言ったでしょ」
やや大仰な、ピンクベージュのワンピースを着た母親が、ヒラヒラと手を振って遮る。
「あのねえ、洋服決めるのにねえ、5回も着替えたんだよ」
父親の笑い声と、母親の小さな抗議が重なる。

 

だめだ。これ以上考えていたら、怖い記憶も蘇ってしまう。
男たちの怒声や、連打されるチャイムの音や…
美佐は手を上げて、メートルに合図した。


「すみません。あの、私が約束の日にちを間違えたのかもしれなくて」
「それは残念でしたね。お食事は次回になさいますか?」

水しか乗っていない美佐のテーブルの他は満席だった。
それに気付いて、胃の石がまた大きくなる。

「いいえ。グラスでいただける赤ワインと、何か軽い前菜だけ」
「かしこまりました」
「ごめんなさい」

メートルはメニューを下げ、行きかけて戻った。

「もしよろしかったら」と小声で言う。
ホットワインとカスレはいかがでしょう。
カスレはフランスの田舎料理で、豆をベーコンとトマトで柔らかく煮込んだ、
温かい料理です。小さめのボウルでもご用意できますが」

この人は、わたしの胃の石のことを知っているらしい。
不意打ちの優しさに、一瞬、泣き出しそうになる。

「ありがとうございます。それが良さそうです」

メートルは更に声を低くした。

「どちらも裏メニューです。だけど、美味いです。次回は無いかもしれませんよ」

茶目っ気を含んだ口調で言われ、美佐はやっと微笑むことができた。
その時だった。
肩で息をしながら武が店に飛び込んで来た。
メートルが笑いながら、メニューをテーブルに戻す。世界が一変した。

 

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「おお、新札だ。帯が付いてるとサスペンスドラマみたいだね」
「これ、利子なんかつけてないぞ。言っとくけど」
「えええー?つけないんだ」美佐は大袈裟に頭を抱えた。「貸すんじゃなかった」
2人は声を合わせて笑った。

「じゃあさ、利子代わりにさ、すんばらしく美味しいスウィーツがあるんだって。今度買って来て」
「おう!買ってやろう。すんばらしいスイーツを」
「ホレンディッシェ・カカオシュトゥーベのバームクーヘン!」
「ああ、それはダメだ。覚えられない」

笑うたびに胃の石が溶けていく。
もう、大丈夫。なにもかも。


「美佐、ありがとう。今日は全部、説明するよ」
「長い話?」
「長ーい、笑い話だよ」
「じゃあ、フルコースかな」
「豪勢だねえ」
「200万円持ってるし」
「しまっとけ。100万円なら持ってるし」
「100万円?」
「だから、長い話なんだってば」

武がメートルを呼び、3人はじっくりと時間をかけて、料理を選んだ。


「ちなみにさ、何で200万だったの?」
ワインのテイスティングをすませた武が聞く。
「うーん、まあ、ありったけ、ってことだったかも」
「危なっかしいなあ。ダメだよ。そういう、何ていうか、捨て身っぽいのは」
「そうだよね。だけど、どうしても私は、どうしても、」

美佐は、透明な白ワインの、グラスの輝きに視線を定めた。
声が割れないように。

「どうしても、私は、こういう結末を見てみたかったんだ」
「こういう?」

 
言いかけた美佐を遮るように、突然ピアノのバースデーソングが流れ始めた。
一つひとつ照明が落とされ、可愛いギャルソンヌが、キャンドルを灯したケーキを捧げ持って現れた。
それを、隣のテーブルの、ピンクベージュのワンピースの母親の前に置く。
真っ先に、美佐が手を叩き始めた。
それに先導されたように、ほかの客たちが大きな拍手をおくる。

武が声をあげた。「おめでとうございます!」
感激で声を詰まらせている母親を見て、少女の方が立ち上がって客たちに向き直った。

「どうもありがとう!」

父親が笑ってたしなめる。「ございます、だろ?」
温かな笑いが広がる中で、美佐が吹き出した。


「さっき、ありがとうで終わる結末、って言おうとしてたのよ」

 

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武、元気か?
怒っているんだろうなあ。武のふくれっ面がしょっちゅう夢に出るよ。
俺はいま、外国にいる。どこだと思う?
ぜったい当てられない、小さな途上国だ。
人間は、骨も筋肉も世界共通だから、俺がやるべきことは多い。
お前のおじいちゃんは、鼻で笑って反対したけど、
堂々と報告できるくらいの結果がでてきた。

とはいえ、3年もかかるとは。半年くらいで目処が立つと思っていたよ。
親たちのことは、時々友達とか知り合いに偵察させて無事はわかっているが、
武は元気か?

ブログ、ネット環境のある場所に移動する度に見ていたんだけど、
この頃ずっと更新されてないから心配になってきた。

武、元気か?元気でいてくれ。

罵詈雑言でいい。返信を待っている。   仁

 

                            <完>