Sanpouji Storyteller

交錯する都会の中で織りなす5人の男女の物語

眼鏡とベストとギンガムチェック(7)-海の章Ⅱ

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第7章

 

(2)怒り心頭

 東京の銀杏並木は12月初旬の頃が最も美しい。銀杏の実は、葉が黄色く色づく前に地

に落ちる。銀杏拾いというのは、そのタイミングの見極めが実に難しいものらしい。桜

の花びらは”ひらひら”と舞い散るが、銀杏の葉というのは”はらはら”と落ちてくる。

地面に落ちた黄色い葉は、クリスマスやお正月、人々が足元を気にしない季節を過ぎる

ころには、細やかなパウダー状になって地面を覆う。

 

 ユージは、この季節が一番嫌いだ。店先にはどこからともなくこの銀杏パウダーが、

まるでカーペットでも敷いたかのように集まってくる。都会にはその複雑な地形や建物

などの影響で、予期せぬ風の流れというのがあって、人知を超えた現象が起きるもの

だ。とにかくその掃除が大変なのだ。この時期は、毎朝交代制にしているものの嫌気が

さす仕事だった。ユージはその急先鋒である。業者に委託した方が効率的だと何度かオ

オタに話したが取り合ってくれない。

 

「ああっ、」

  少しだけ深い、そして声とも息ともつかないようなため息をついてから、両手の親指

と人差し指で四角い窓を作った。そして、カメラマンのように左から右へゆっくり動か

しながら覗き込んだ。

 

 明治通り段違い平行棒みたいに2本の鉄道が走る。その上を高速道路が交差する。

そのうちの一本の鉄道は、徐々にその高さを下げながら、明治通りと同じ高さまで降り

てくる。やはりそれまで高速道路と平行に走ってきたもうひとつの3本目の鉄道は、や

がて大きなRを描きながら高さを下げた別なレールの上に重なっていく。

 

 “まるでミルクレープだな”

 

 ふいにマスダが作るミルクレープが食べたくなった。今週のデザートにしてもらおう。マスダのミルクレープは絶品だ。

 

「だから先生、ああいうのは、営業妨害でしょ!違いますか!」

 

 ガラケーを肩と耳の間に挟みながら、オオタが、怒り心頭でバックから書類を取り出

そうとしながら、通りの反対側から来るのが見えた。

 

“今日は、いったいなに?”

 ユージの中で今日が3日に一度やってくる暗鬱な日なのだと確認するに至った瞬間だった。

 

「そもそもですよ!私に一報あってもいいんじゃないですかね?ああいう場合は、その人がどこで働いているとか、そういうの調べるものじゃないんですかね?ねえ先生!」

 さらに激高しながら店の青い扉の前にいたユージに近づいてきた。

「おはようございまーーす!」

 オオタは一瞬その声に軽く首で反応しつつ、電話の向こうの相手の話に云々とうなづ

きながら不愛想に店の中に入っていた。


 カラン、コロンと彼の心理状況をあざ笑うような明るい音で、扉が開く。

 

 電話を切ったオオタが、いきなり奥まで届くような声で

「チューは、いるか?チューヤン!チューヤン!」

 倉庫で在庫の確認をしていたチュウヤンが奥から出てきた。

「ああ、オーナー、おはようございます!」

 ニコニコしているチューヤンが、オオタの形相に一瞬固まった。

「お前、なんだあれ!」

「???」

「あのテレビ、観たぞ!いったいどういうことなんだ!」

「・・・。」

「あそこの前を通っていたら、突然、テレビ局の人に声をかけられて…」

 

 厨房のマスダもホールの異変に気付いてデシャップから顔だけ出したが、すぐに自分

の仕事に戻った。外からユージは、窓越しにその様子を覗いていた。

 

「それで!」

 畳みこむようにオオタが詰問する。

 

「ずっと、食べてみたかったし…」

 

「だからって、テレビにまで出て、美味しいだの、スープがいいだの、ベトナムのフォーにも負けないですね、とは何事だよ、お前は、いつからグルメ評論家になったんだ!そもそもうちの店の人間だぞ!」

 

「だって、マダムからも〝あなた一度行ってみて、感想聞かせて頂戴よ〟っていわれて
たし…」

 マダムとは、昼夜問わず利用している常連の一人で3丁目で老舗の小さなブティック

をやっている。蓮向かいには例の10円で話題になった新装のラーメン店があった。

 

「だって、本当に美味しかったし、美味しいものを美味しいといってはダメですか?」

 

「だめだ!あの店は、だめだ!お前なんか今夜の貨物便で帰っちまえ!」

 オオタの罵声が店内に響いた。

 次の瞬間、いつも太陽みたいに明るいチューヤンの目から涙があふれ出した。

 

“朝の惨事だな…こりゃ”

 

 そうつぶやくユージの背中に「出来損ないの若者」ことショータが声をかけた。

 

「おはーっス」

「おお、おはよう」

 ユージは、背中で返事を返した。

「どーしたんっスか?」

「・・・・・」

「ああチューヤン、泣いてんじゃないっすかー」

 

  次の瞬間、ショータがまるで刑事のように店内に踏み込んだ。扉のカランコロンが、いつもより激しく鳴った。

 

 ユージは、こういう時が一番悩ましいと思う。このガラス窓を挟んでいることが小さ

な安心をくれているのを感じていた。

 

 店内では、すでに事情を察したショータがオオタに喰ってかかっている。例のラーメ

ン店のテレビの取材でチューヤンが出たことは、彼女から先週の休憩時間に聞いていた

のだ。

 

「いいじゃないっすか?ちょっとテレビに出た位、しかもラーメン屋っすよ?」

ショータが、ただのチンピラみたいにオオタに詰め寄っている。

 

 次の瞬間だった。

 

「だからお前は「出来損ない」なんだよ!お前に何がわかる!」

 

 オオタは、そういいながら、椅子を一脚蹴り上げた。蹴り上げた椅子が隣のテーブル

 まで転がった。

 

“最高レベルだな、今日は…”

 

 そもそも、ショータのことを「出来損ない」と言っていたのはオオタであり、いつの

間にか、ユージもそんな雰囲気で彼を見るようになっていた。しかし、今日のショータ

は、ちょっと違って見えていた。

 

「もういい!そのベトナム娘を連れて、お前も出てけ!」

 そういいながら、オオタは奥の自分のオフィスへ入っていった。

 

 

「何事なんですか?」
 パートで来ている主婦のナツキが、窓ガラスにユージと並んで心配そうに声をかけて

きた。

 

「いつものことですよ。少し重いけど」


ユージは、冷ややかに笑いながら残りの銀杏パウダーを片付けた。

 

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 (3)ランチ計画

 開店前にどんなにいざこざがあっても、一度開店してしまえば、それを引きずる暇

もないのがこの手の店の特徴だ。いいところでもあり、問題先送りで何も解決されて

いないのも事実だ。にもまして、今日は、本当にチューヤンが開店前に帰ってしまった

おかげで、ランチタイムは大騒ぎだ。オオタもホールに出てサービスするくらいの忙し

さだった。

 

 その日の午後、マスダ、ユージ、ナツキとショータの4人の賄いの昼食の時だっ

た。オオタが奥のオフィスから顔を出した。ユージには嫌な予感が走った。

 

「おい、ターコ。」

 

 オオタはマスダのことをターコと呼ぶ。本名とは違うのになぜかターコと呼ぶ。

 

 ユージは、多分” このタコ野郎”みたいなつもりなのだろうと以前から思っている。一

度、マスダに聞いたことがあったが、小さな笑みを浮かべて、はぐらかされて以来、そ

のことには興味を持たないようにしていた。むしろ、聞いてはいけないような気もして

いた。

 

「おい、ユージも。二人とも奥に来い。」

 

 オオタのオフィスといっても、小さな倉庫を仕切って事務机と書棚が一つあるだけの

小さなスペースだ。一応、ドアがあるのであまり中の声は聞こえないが、3人で入る

と結構、窮屈だ。

 

 オオタが自分のデスクに腰を下ろした。

 

「” 10フランランチ”を作れ!」

 

 ユージには、オオタの言っていることが分からなかった。フランは、2002年にユーロ

に交換され、今はフランスでは通貨としても使われていない。そんなものを作ってどう

するんだ。そもそも当時1ユーロに対して約6.55フランで交換されたので、円に換算す

るとおよそ200円ということになる。

 

「200円のフレンチのランチなんておかしいですよ!あのラーメン屋の開店セールと一

緒じゃないですか!」

 

 ユージは、「それはありえない」と言いながら、コメディ映画の外国人のように両手

を開いた。瞬間、左手がマスダの胸に当たりマスダが少し後ろに下がった。右手は書棚

に当たった。ふくよかな柔らかさとスチールの硬さが同時にユージの腕を走った。

「痛っ!」こういう時は、痛みの方が優先するものなのだ。


「オーナー!マダムとかに笑われますよ?」

 

 オオタは、ユージの話に耳を貸さず、マスダをじっと見ている。

マスダは、ドアにピタッと背中をへばりつけて、口を真一文字に結んでいる。

 

「そもそも、そんな原価でやれるわけないでしょう、オーナー!」

 

「お前は、本当にうるさいな、ぴよぴよと!」

 

「メートルの俺の意見は、無視ですか?」

 

マスダの口が少しだけ緩んだ。

「わかった、ユージ。なら限定先着10名だけでいい。しかも、今度の2月22日の前後1週間だけだ。それならいいだろう、文句あるか!ユージ。」

 

「いやいや、それもないでしょう?無理ですよ」

 

「いいからやれ!」

 

 途中、ユージは自分が今朝のショータみたいになっていることに気づいた。

 

「シェフだって無理でしょ?無茶だと思うよね?」

 二人の視線が、マスダに向いた。

 

「わかりました。考えてみます…。」

 

 マスダは、少し小さな声で確かに言った。

 オオタが小さく頷くのを見る間もなく、マスダは背を向けながら「早く賄い食べない

と…」とつぶやきながら部屋を出た。

 

 ユージは、キツネにつままれたような顔をしながら、その一方で、この男は、本当に

この商売をわかっていないと、改めて感じていた。

 

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 (4)約束

 メール・ドゥ・ノルドから3軒隣のビルの1階に” サケトマス”という店がある。

 この店はちょっとユニークで2つの入り口がある。

 

 1つの入り口は少しモダンな扉で昼休みにしか使われない。ランチタイムには炙った

魚の定食が人気だ。軒先にはいくつものトロ箱が積み上げられている。特に新潟産の米

の炊き方が上手いのと名物"どんぶり豚汁"が評判で昼時の店内は結構な混雑ぶりだ。

 

 もう一つの入り口は夜しか使われず、懐かしい時代劇に出てくるような引き戸に縄の

れんがかかり、「めし」と墨で書かれた提灯が似合いそうなたたずまいだ。こちらは、

全国各地の日本酒を取り揃えていて、杉材で作った特製の升で呑ましてくれるのが人気

だった。いわばSAKE-BARである。去年、訪れた外国人旅行者がSNSで拡散したおか

げでが、国際色豊かな雰囲気になり、常連が気後れすると嘆いていた。

 つまみは、昼間の魚のアラ炊きやら、余った魚をうまく調理して出している。もとも

とは日本酒がメインなのでつまみは塩だけでいいという客もいるくらいだった。昼の客

が初めてやってくると、入ってみて同じ店内ということに気づかされるトリッキーな店

だった。

 ビルの脇道は、家路につくサラリーマンの駅へ向かう路地裏の近道につながっており

夜はそっちで網をはっているのだ。一方、昼の入り口は、その反対側で明治通りに面し

ていて、車、バスの車内、そして近所のオフィスからも昼間の行列の様子が伺えていい

宣伝になっていた。

 

 

 ここの大将は、オオタがメール・ドゥ・ノルドを出す前から色々と相談していた一種

のメンターのような存在だ。故郷が新潟の魚沼でオオタと同郷ということで、ある会合

でこの街の商工会が当時オオタに紹介してくれた。

 

 オオタは、ここで遅いランチを特別に取らせてもらうことが多い。すでにランチの営

業は終わり大将も一息ついているそんな時間。

 

 時計の針は3時過ぎが多い。

 

「聞いたぞ、この前、また怒鳴り散らしたらしいねー」
 

 大将が、カウンター越しに出雲崎産の赤エビの塩焼を出しながら声をかけてきた。

ランチのメニューは、いつもお任せだ。

 

「いやいや、またやちゃったね。もともとは、あのラーメン屋に来たテレビ局の連中がダメなんだよ。あれじゃまるでやらせじゃない?チュウが通りかかったことをいいことにさ。」

 

「チュウちゃんは、テレビ映えするでしょう、顔小さいしさ。お前みたいのが喰ってるよりいいんじゃないの?

 はいよ、"どんぶり豚汁"。熱いからね。」

 

 湯気で一瞬、オオタの眼鏡が曇るほどの距離で近くに出てきた。曇った眼鏡のまま、

豚汁を塩焼きの隣に置きながらオオタは続けた。


「それにさ、あの” 出来損ない”がさ、珍しく妙にアツいのよ!それで余計に怒り心頭。
そもそもそんなパワーがあるなら、こんなところにいないで、とっとと大学にもどりゃいいんだよね。」

 

やっと眼鏡の曇りが取れてきた。

 

「ショータくんは、あれ帝都大なんだろ?陸上なんだってな、駅伝やってたとか。帝都

大なんて凄いじゃない。『今年はうちの大学凄かったんすよ』って箱根駅伝の特番みな

がらTVくらいついてたよ。」

 

「まあそうだろうね。あいつも来てるの?ここ」

 

「たまにね。いいじゃないあの子。『大将、俺もね、高校駅伝の時なんかで、テレビに

思いっきり顔映ってたんすよー!』ってTV観たまま、箸が一向に動かねえから、魚が海

にもどっちまうぞ!って怒鳴ってやったよ、最近の若いのは不思議ちゃんで困るね。」

 

「いやいや、意外に何かふんぎると強いとこもあんだよ、チュウヤンもね、あんな年で

さ、知らねえ国で一人でさ、正直凄いって思っている。しかし、あのラーメン屋だけは

どうしてもダメだね。魚沼の実家のことを思い出して、敵意むき出しになっちまう。ま

あ、ユージが言うのもわかるんだ、ホントはさ。」

 

 カウンターの奥から出てきた大将が、オオタの隣から二つ離れたカウンター席に腰か

けて、「一本いい?」ってライターを見せながら胸ポケットから煙草を取り出した。

 

「ところで、お前んとこは、何年たった?」

 

 オオタは、海老の塩焼きの足を数えながら、フムフムとうなずきながら
「始めたのが45の時だから丸14年だな、早いね、でも大将には叶わないよ。」

 

「うちは来年でまるっと20年だ。息子がこの前成人式だものなあ。どこで何やってるんだか、どこに居るんだか、さーっぱり知らねえけどねー。」

 

オオタは、米を口に運びながら眼鏡の奥の細い目を丸くした。

 

 大将が続ける。

「でもよ、魚沼の親も心配してんじゃないの?シェフも評判いいし、少し誰かにタスキ渡して田舎帰るとか、これかの人生の選択としてはありかもよ。」

 

 オオタがお茶に手伸ばしながら、割り込んだ。

「駅伝じゃあるまいし…。」

 

二人でちょっとだけ笑った。

 

 そして、オオタは壁に掛かった新潟の地図に少しだけ顔を向けながら続けた。

 

「でもね、俺も内心はそうしたいし、そもそもフランス料理より、魚沼の美味い米

和食屋とかの方が、お似合いだと思うよ、けど、どうしても、ここでフレンチやらん

といけないのよ。…約束だから。」

 

 明治通りを走るバスのクラクションが、一度だけ小さく鳴ったのが聴こえた。

 

 


ハッピーエンド / back number (cover)