Sanpouji Storyteller

交錯する都会の中で織りなす5人の男女の物語

眼鏡とベストとギンガムチェック(2)ー海の章Ⅰ

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第2章

 

(1)交差点

 

首都高速とJRが交わり、その下を潜るように明治通りが交差している。

その交差点の角にメール・ドゥ・ノルドと言う小さなフレンチがある。

いわゆるビストロと呼ばれる類だ。

ユージは、そこでメートル・ドテルの仕事をしている。

もうかれこれ5年になるだろうか。

ユージ自身、最近は正確に数えるのが億劫になってきていた。

 

道路の拡張工事で周囲の店やビルがセットバックしていく中、

この店先の三角地には、甲子園みたいに蔦が絡まったコンクリートづくりの小さな建物があった。

それが取り壊されたのは、半年ほど前のことだ。区役所の施設だったらしい。

店の前は、見違えるほど広くなった。

問題の三角地は、ガードレールで囲われていておそらくそのまま道路になるのだろう、

ユージは思った。

 

オーナーのオオタは、それを機に、店の外壁の塗装を新しくした。

フレンチらしく壁面を赤くし、扉を木製に替えて青く塗った。

明るくなった店先のスペースの空いた場所にはテラス席までこしらえた。

そしてその脇に、小さなフランス国旗を掲げた。

 

通行人が、新店がオープンしたのだと思ったようで、客足は以前より増えてきた。

オオタの機嫌は、絶好調だ。

以前は月に1度も顔を出せばいいくらいだったのに、ここ最近は週に1度、ひどい時には

3日に1度は顔を出す。

ユージは、そんなオオタの現金な性格が無性に嫌いだった。

 

シェフのマスダは、腕はいいのに気が小さい。

だから、いつまでも雇われシェフなのだとユージは思っている。

マスダとは、以前働いていた店で一緒だった。

〝ユージくん、私、今度、新しくシェフで呼ばれている店があってね。〟

一緒に来ないかと誘われた。

給料は以前よりほんの少し上がったが、店が暇らしいということをメートル仲間から聞

いていたし、ここなら自転車通勤もできるので、交通費も浮くのでかえってコスパはよ

くなったと思っている。

マスダは、重度の人見知りだ。きっと心細かったのだろうと思いながら、マスダに遅れ

ること1ヶ月経って前の店を辞めた。

その間、マスダからは、ほぼ毎日のように「オオタはいい人だ」とか、

「本当に辞めてくれるのか」とか、念押しのLINEが入ってきた。

 

アルバイトのチューヤンは、ベトナム人だ。日本語検定1級を持っているので、

そこらの出来損ないの若い奴やパートの主婦よりはるかに日本語が堪能だ。

時々、ユージも知らない諺や四字熟語を話す。

ホーチミンにあるチューヤンの実家は、バインミー屋で結構な人気店だという。

将来、故郷でフランス料理店を開くのがチューヤンの夢らしい。

いい奴だとユージは思っている。

 

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珍しく今日は、客が少ない。

近所で新規開店したラーメン店が、10円で提供していて行列ができているらしいのだ。

ランチタイムに常連のマダムが嫌そうに話していた。

さっきからオオタが店を出たり入ったりしている。

そのイライラはこちらにも伝わってきた。

客足が気になっているのだ。

 

ユージは、デシャップに背を向けて大きく空いたドア横の窓から外を眺めていた。

ここからは交差点の人や車が良く見える。こういう時の気晴らしにはちょうどいい。

あまり見たことのない青色の車が一台、交差点に停まった。

車の左側に女が駆け寄り、中の男と何やら楽しそうに話していると思ったら、

そのまま反対側から乗り込んだ。

 

〝ああ、知り合いなんだ〟

 

ユージは、微笑みながら独り言のように呟いた。

 

陽も西に大きく傾いてきたようだ。

テラス脇のフランス国旗の影が長く伸びてゆらゆらし始めた。

 

〝風も出てきたのかな〟

 

ユージは、もう一度、心で確認すると、デシャップに向き直り、
厨房の奥にいたマスダとチュウヤンに声をかけ、今夜のおすすめディナーの内容を確認することにした。

 


ハッピーエンド / back number (cover)