Sanpouji Storyteller

交錯する都会の中で織りなす5人の男女の物語

眼鏡とベストとギンガムチェック (13)-水の章Ⅲ

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第13章

 

珍しくアラームよりも先に目が覚めた。

カーテンを開けると青い空が広がっている。

快晴。

まだ半分夢の中状態でなんとか朝食を終え、男2人を待たせてはいけないと出来る限りのスピードで支度を終えた。

市内近郊のダイビングショップを2件回り、昼前には自由になった。

吉田は飛行機の時間を確認し、遅れるなよと言い残しタクシーに乗り込んで行った。古い付き合いの友人とその息子に会うという。

奏太は「ここでどうかな」とスマホの画面を見せてくれた。

「穴場って書いてあったからさ。賑やかじゃない方がいいだろ。まぁここに載ってる時点で穴場じゃないか」と笑った。

 

「うん、そこでいい。ありがとう。」

 

「よし、出発!」

目指したのは南城市にある新原ビーチ。

空港からは約25キロ。国道と那覇空港自動車道を使えば45分ほどだ。

美波は言葉少なに助手席から奏太の横顔を見ていた。

こんな事奏太にしか頼めないと勝手に思い打ち明けたが、きっと迷惑に違いない。メンドクサイと思われているだろうと内心は恐縮していた。

 

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美波は東京で産まれ育ったが、小学校5年生から中学を卒業するまで父親の転勤で神奈川の海沿いの街に住んでいた。引っ越しを終え、近所に挨拶回りをしていると、斜向かいの白い壁の可愛らしい家に同い年の小柄な女の子がいた。

「こんにちわ」とその子は言った。

目が大きくて可愛い子。

美波はその頃からすでに人見知りだったので下を向いたままだった。

それなのに、色々と準備を終えて初めて登校する数日後の朝

「おはようー!学校行こうー!」

玄関先で大きな声がした。

母親同士は気が合ったらしく、よく話をしていた。母はきっと一緒に行ってあげて欲しいと頼んだのだろう。

 

「美波ちゃん、同じクラスだといいね!」

 

「うん。あの、名前…なんで知ってるの?」

 

「ママに聞いたよ。あたしの名前も聞いたでしょ?凜だよ!」

 

そう言われれば聞いた気がする。

幸いクラスは同じだった。凜がクラスメイトに美波を紹介して回ってくれたお陰ですぐにみんなとも仲良くなれた。


夏になると地元の人しか来ない小さな入江で学校帰りにひと泳ぎして、帰り道にある駄菓子屋でアイスを食べるのが日課。凜は泳ぎが上手くて、まるで魚か人魚の様。可愛くて優しくて強い子だった。面倒見がよくてお姉さんみたいな存在。美波は友達になれた事が嬉しかった。二人とも色違いでお揃いのギンガムチェックのワンピースがお気に入りだった。

凜には3つ上の凌と言う兄がいる。年頃のせいかあまり一緒にいる事はなかったが、子供なのに海の男みたいに頼もしくてかっこよくて、大好きだった。

小学校を卒業する頃には美波もすっかり泳ぎが上手くなり、友達には[二人で海に入ってるとイルカみたいだよ]と言われた。


中学も同じクラスになれて、奇跡!運命!とはしゃいだ。ごく普通のどこにでもいる中学生。部活や好きな男子の事や悩みや喧嘩も。

 

二人の絆は深まっていった。

 

毎日が充実していた。

 

ずっとこの街にいたいと思った。


そんな中学2年の夏休み、凜は家族で沖縄に行くと嬉しそうに話した。お父さんの実家があると言う。

 

「美波、お土産買ってくるね!楽しみに待ってて!」

 

「うん、待ってるよ!綺麗な海、いいなー!あたしも行きたい!」

 

「大人になったら二人で行こう!綺麗な海でふやけちゃう位泳ごう!」

そんな会話をして見送った。

 


でも。二度と凜には会えなかった。

 

帰ってくる日を過ぎても凜の家は静まり返っていた。そのうちに、大人たちが慌ただしく出入りしていて何が起こったのか不安でしかなかった。2日後、泣いている母から聞かされたのは、凜が海の事故で亡くなったと言う事。

美波は到底理解できず信じられず泣くことも忘れ呆然とした後、ぐにゃりと景色が歪み頭の中が真っ白になりその場に倒れた。

 

その後の事は覚えていない。

 

目が覚めると、凜がいなくなってしまった事も子供の頃の思い出も、美波の心は封印してしまっていた。

 

今の美波の中には、初めから凜と言う女の子は存在しないのだ。

 

凜の家族は程なくして引っ越してしまったし、その後のこの街での出来事は曖昧な記憶のまま、卒業と同時に東京へ戻った。心因性記憶障害だと思われた。

大きな精神的ストレスや心的外傷が原因となって発症する。美波の両親はあえて治療を進めなかった。日常生活に支障はないし、あの4年間の凜に関する以外の記憶はほとんどあった。記憶を消し去る程の辛い思い出はいらないと考えた結果だった。


しかし、ぽっかり空いた空白は大人になるにつれ美波の意思とは無関係にじわじわと真相に迫ろうとしていた。

大学を卒業する直前から、度々おかしな夢を見るようになった。それは断片的で曖昧でいつも同じ。

---夏の暑い日、海で遊ぶ女の子。

目が大きくて可愛くて楽しそうに笑っている。美波はそれを自身の目で見ている。「一緒に泳ごうよ。約束したでしょ」そう言うと女の子は海へと消えてしまう。そして「沖縄の海だよ。海に行ったら思い出して。忘れないで」声だけが聞こえる---


同じ夢を何十回も見た。

考えても考えても意味は分からない。

あの女の子は誰?

一体沖縄の海に何があるの?

ずっと引っ掛かっていた夢の中の出来事を確めたいと思っていた。沖縄に行けば何か分かるかもしれない。でもどうやって?どうすればいいんだろう。分からぬまま、美波はそのチャンスをやっと与えられたのだ。

 

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新原ビーチに着くと、ハイシーズン前のせいか人はほとんどいなかった。二人は白い砂浜に座った。奏太は真っ直ぐに海を見ている。美波は少し悩んだ後、目を閉じて夢の中の女の子を思い出した。波の音を聞きながら。

 

海…

 

約束…

 

忘れないで…

 

何度も何度も繰り返し心の中でつぶやくと頭痛と共に息苦しさを覚え胸を押さえた。奏太はそんな美波に気付き、思わず美波の肩を揺らして言った。

 

「大丈夫!?なんか分かったのか?」

奏太の声で目を開けるとそこにはあの女の子が立っていた。

正確には立っているような気がした。

 

「あなたは誰?どうして夢に出てくるの?」

 

「美波に思い出して欲しくて。あたしはちゃんと生きてたんだよ」

 

「生きてた!?思い出す!?…」

美波はもう一度目を閉じた。

頭が割れる様に痛んだがうっすらと脳裏にある情景が浮かんだ。

 

海で泳ぐ美波と女の子。

 

アイスを食べる二人。

 

部活をしている二人。

 

喧嘩している二人。

 

楽しそうに笑っている二人。

 

お揃いのギンガムチェックのワンピース。


沖縄に……

みんな泣いている……

 

そうだ。そうだ!そうだ!!

 

「凜!」

美波は叫んだ。

 

「凜!凜!」

何度も叫び海へ走った。

 

凜を忘れていたなんて。

 

なんで!

 

美波はなりふり構わずびしょ濡れになりながら泣きじゃくり崩れ落ちた。

奏太は美波を追い、海から引き寄せた。

 

「美波!大丈夫、俺がいるから」

 

「凜ごめん、ごめんね…」

美波は凜を思い出した。

映画や漫画で見たタイムマシンに乗った時の様に、凜との思い出がぐるぐると甦り目眩がした。とても短時間では処理できない程の記憶。奏太はふらつく美波を座らせ、荷物からタオルと着替えを出し美波が落ち着くまで何も聞かずに待っていてくれた。

 

しかしフライトの時間が迫っていた。

車に乗り込んで水を飲み、深呼吸をして美波は話し出した。

「奏太、ありがとう。みっともないとこ見せちゃった。思い出したよ全部。夢の中の女の子は凜。子供の頃の親友なの。でも、死んじゃった。沖縄へ里帰りした時に海で。それを受け入れられなくて記憶から抹消したんだね、あたし。凜は思い出して欲しかったんだよね。昔から海に行くと、大好きなはずなのにざわざわする感覚になる時があったのはきっとそのせい。せっかく沖縄に来て色々欲しいものもあったのに、何故か買えなかったのも、凜がお土産買ってくるって最後に言ったからだったんだ」

 

凜と過ごした4年間の出来事を思い出しながら言葉にした。奏太は黙って聞いていた。

 

「美波、来て良かったな。凜ちゃんも喜んでるよ。ずっとここの海から美波を呼んでたんだ。二人の思い出を大切にしたかったんだ。確かめられて本当に良かった」

 

「奏太、助けてくれてありがとね。一人だったらどうなってたかわかんない。さすが親友だね」

 

「美波の2番目の親友だなぁ」

まだまだ気持ちの整理はつかなかったが、少しだけ笑う事が出来た。

 

「メイク直せ。吉田さんに俺が泣かしたと思われたら厄介だぞ」

そう言うと奏太は空港へ向け車を走らせた。


空港には搭乗の45分前に着いた。美波はメイクを直し笑顔の練習をして何事もなかったかの様に振る舞った。吉田は気づく様子もなくいつも通りだった。奏太は買い忘れたものがあると土産物売り場を走り回っていた。幸い、機内では団体客で混雑のために席がバラバラだったので、一人で考える時間もあり羽田に着く頃には大分冷静になれた。1日で体力と気力をかなりすり減らした。

2人と別れエアポートリムジンに乗り込むとすぐに深い闇へと落ちていった。