眼鏡とベストとギンガムチェック(9)-羽の章Ⅱ
第9章
秀幸はポストに入っていたチラシと夏雄からの封筒、そしてかけていた黒縁の眼鏡をテーブルに置いた。
今夜は妻の櫻子が仕事のローテーションで遅番とのことで、夕食は一人で食べることになった。
帰りがけのターミナル駅のデパ地下で、【全国駅弁フェスティバル】が展開していたので足を向けてみた。
櫻子は学生時代に友人たちと鉄道を利用する国内旅行を始めたことがきっかけで、以来JR全線を乗り尽くすことを目標に時間を作っては今でも旅を少しずつ続けている。それにときどき秀幸も付き合っていた。
自称「乗り鉄女子」と思っている櫻子は、旅先で駅弁を買って食べることも旅のひとつの楽しみと感じていた。
以前、二人で旅行した時に美味しかった駅弁が売っていたので、櫻子の分も一緒に買って帰り、それを一人で食べながら懐かしさを感じていた。夕飯を済ませて一服をしていると、玄関のチャイムが鳴り、鍵を開ける音がした。
「ごめんね…遅くなっちゃって…」
「おかえり…」
「夕飯どうした?先に食べたよね…?」
「駅弁を買って先に食べた。君と一緒に旅をした時に二人で「こりゃ、美味い!」って絶賛した駅弁が、デパ地下で売っていたから思わず買ってしまったよ…」
「えっ、どこ駅弁…?」と櫻子がビニール袋から駅弁を取り出し、包装紙を見た。
「あ…見覚えある…。これ超美味しかったわよね…うれしい!!」と言いながら洗面台でうがいと手洗いをした。
「いただきま~す…。あれ?何この手紙?…」
櫻子が『寺嶋 秀幸 様』と達筆な毛筆で書かれた白い封筒を見つけた。
「誰から?」
「堀越から…」
「堀越って、あの堀越君から…?」
「そう…」
「中身は?」
「まだ開封していない…」
「どうして?」
特に理由は告げずに、その日は寝てしまった。
翌朝。櫻子は早番の仕事のため、すでに家を出ていた。今朝は今シーズン一番の冷え込みとニュースで言っていた。秀幸はいつものように帝都大学病院へ行くための準備をした。テーブルに置いてあった未開封の夏雄からの封筒をカバンに入れて表に出た。
「確かに今日は寒いな…」コートの襟を立てて、玄関の鍵を閉め、最寄り駅へと歩き出した。
電車をいくつか乗り継いで病院に着いた。シートに座ってしばらく待っていると自分の名前が呼ばれたので診察室に入った。
「寺嶋さん、おはようございます。遅ればせながら明けましておめでとうございます。」
「先生、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」
「残念ながら、寺嶋さんの診察をするのは今日が最後なんですよ…」
「え…どうしてですか?」
「私は昨年65歳になりまして、病院の規程で65歳になった年度末、つまり今年の3月末で定年退職になるんです。」
「そうなんですか…先生にはずっとお世話になったので実に残念です。一方で今の自分があるのは先生のおかげと思っています。先生の永年勤続に対して敬意と感謝を申し上げます。」
「そう言っていただけると嬉しいですよ。寺嶋さんが私の患者さんになって30年…。あれは昭和64年1月3日の第65回箱根駅伝大会2日目のことでしたよね…。寺嶋さんが帝都大学の復路の最終10区のランナーとしてトップで走っていたのに、ひどい脱水症状のため、ゴール直前で倒れてしまって、意識不明の重体でこの帝都大学病院の高度救命救急センターに運ばれて来たんでした…」
「その5日後に私は意識を取り戻しました。顔には酸素マスクが施され、腕には点滴が刺さっていて、集中治療室のベッドに仰向けになって寝ていました。自分に何が起きたのはさっぱり理解できませんでした。
その後に病院に運ばれた経緯と倒れた時に頭を道路に強く打ち付けたことにより、脳への後遺症が残るかもしれないとの説明を受けました。
それと意識を取り戻したのが1月8日でした。それをはっきり覚えているのは、前日の1月7日の朝に昭和天皇が崩御したため、その日の夜に新しい元号が『平成』となると政府から発表され、正式には1月8日から平成がスタートした日だったからです。
自分が意識不明の最中に「昭和天皇が亡くなり、元号が昭和から平成になっている?!…」、とてつもなく大きな歴史的変化を体感できなかった。なにかタイムマシーンで時空を超えてしまったような感じがしました。
自分の不徳によりゴール直前で倒れて、帝都大学初の総合優勝を逃していまい、監督や駅伝のチームメンバーを始め、後援会関係者に多大な迷惑をかけた思いと、自分の体の具合と将来の後遺症への不安と恐怖、そして世の中の劇的変化に頭がついていけず、当時はパニック障害の発作を度々起こしていました。
結局、1か月間入院して、退院後は定期的にこの病院で臨床心理士の先生による心のケアのリハビリ治療が始まりました。それ以来30年のお付き合いですから長いですよね…。その時、私は大学4年生の22歳、今や52歳のおっさんですよ。」
「当時、私は駆け出しの臨床心理士の35歳でした。それが今年定年退職ですよ。」
お互いに30年の年月の経過をしみじみと感じながら笑った。
「その平成も今年の4月30日で今上天皇が退位して終わり、翌日の5月1日から皇太子殿下が新天皇に即位して新しい元号が始まるなんて不思議ですね…」
「そうですね…」と秀幸は今度こそ歴史的変化を体感したいと思っていた。
「でもまあ、寺嶋さんの懸命なリハビリで、最小限のリスクで済みましたね…」
「昔に比べれば、発作は減りましたが、それでもときどきあの日の駅伝の夢にうなされて、大量の汗をかき、妻に起こされて目を覚ましますよ。」
「克服すべき残す課題と言ったら、寺嶋さんがあの時の駅伝チームのメンバーと再会できることですね…」
「それは30年経った今でもトラウマです。会いたい気持ちもあります。会ってみんなに謝りたいですが、当時の監督やチームメンバー、後援会関係者には申し訳ないという気持ちが今でも強くありますが、そのことを思うとめまいや頭痛が起こります。だからあの日以来、監督やメンバーたちの誰とも会っていません。」
「その心の病が私の定年退職前に解決できればと思っていたのですが、力不足で申し訳なかったです。」
「いやいや、私の勇気の問題ですよ…」
「寺嶋さんの気持ちもわかりますが、はたして30年も前のことをその当時の方々が寺嶋さんに対して今でも負の感情を抱いているでしょうか…?」
秀幸は先生と別れを告げ、診察室を出た。会計エリアは大学病院特有の混み具合で、「こりゃ、相当時間がかかるな…」と思った。
会計エリアが正面玄関付近にあるため、少し冷たい空気が漂っていた。
「寒いな…」と思い、右手に持っていたコートを着て、空いているシートに座った。
夏雄からの封筒のことを思い出した。「読んでみるか…」とカバンから封筒を取り出してみたが、封を開ける気にはならず、右手に持っていた封筒は右手と共にコートのポケットにしまった。しばらくぼんやりと考え事をしながら順番を待っていたが、いつの間にかウトウトと寝てしまった。
「寺嶋さん、寺嶋秀幸さん!2番窓口までお越しください。」マイクから何度も秀幸を呼ぶ声がした。
「あっ!はい!私です。」慌てて立ち上がって、コートのポケットに入っていた右手を高くつき上げながら、会計のカウンターに向かった。
青柳 翔太。23歳。
翔太は帝都大学の駅伝部の選手だった。高校の1年生から全国高校駅伝に出場して3年連続の優勝に貢献する有望な選手だった。帝都大学にスポーツ推薦で入学して来たが、ある時に膝靱帯損傷を起こした。休んで治療に専念すれば良かったのだったが、同期のライバルを意識したため、無理をして練習をし続けた。そのため半月板損傷となり、手術を余儀なくされた。手術は成功したが後遺症が残り、再起不能に陥り、駅伝の選手生命は途絶えてしまった。以来、勉強する気力もなくなってしまい、ついには単位が取れなくなり留年までしてしまった。
翔太は後遺症の治療のため、今でも定期的に帝都大学病院に通ってリハビリをしている。今日はその日であった。翔太のリハビリ治療が終わり、会計エリアに来た。シートに座ろうとしたら、床に開封されていない白い封筒が落ちていので拾い上げた。
『寺嶋 秀幸 様…?』
翔太は書かれた名前にかすかな記憶があったが思い出せなかった。裏を見た。
『帝都大学 駅伝部 監督 堀越 夏雄』
翔太にとってこの名前はまぶし過ぎた。
今や時の人。
大手有名商社を辞職して1年前に帝都大学の駅伝部の監督に就任して、平成最後を飾るにふさわしい見事な箱根駅伝初の総合優勝を成し遂げたカリスマ・イケメン監督とか、自身が30年前の昭和64年第65回箱根駅伝大会で帝都大学の5区を走り、箱根の上り坂で5人をごぼう抜きし、区間新記録を出し、往路優勝に貢献した『イケメンランナー』、『箱根の韋駄天』などなど、様々なメディアで賛美称賛されている。
落ちぶれた今の自分には、いささか見聞きしたくない名前だった。
堀越監督からは翔太に対して、選手ではなくマネージャーとして駅伝部を盛り立ててくれないかと再三にわたって誘われているが、「はい」とも「いいえ」とも返事をしないまま、今日に至っている。
「参ったなあ…。厄介な物を拾い上げてしまった…。このままここに置いておくか…いやいや、この寺嶋さんって人、今頃困っているだろうな…。病院の受付に預かってもらおうか…。でもなあ…堀越監督からの手紙だからなあ…」とボヤいた。
「青柳さん、青柳翔太さん。3番窓口までお越しください。」アナウンスが入った。
翔太は、慌ててこの封筒をカバンに入れて、会計へと向かった。
翔太は病院を出て、気の向くままに歩いた。気が付けばちょくちょく訪れるサケトマスに着いていた。モダンな扉を開けると、すでにランチタイムは過ぎていたので店内は空いていた。
「いらっしゃいませ!…よう、ショータ…」と、鉢巻姿の大将の声が店内に響いた。
「ああ…」翔太はカウンターに座った。
「なんだ、いつもの元気がないじゃないか…」
「ああ…」大きなため息をついた。
「なんだよ!辛気臭い!今日は病院でのリハビリの帰りか?」
「ああ…」
「さっきから、「ああ…」しか言わないで!どうした?なんかあったか?」
「大将…聞いてよ。俺、今困ってんだよ…」
「聞くから、その前になんか食べるか?」
「今日のオススメは?」
「今日は脂ののった鮭が入っているよ。」
「じゃあ、それ…。どんぶり豚汁付きのご飯大盛で…」
「なんだよ、元気がなくても、食欲だけはあるんだな…」
大将が分厚く切られた鮭の切り身を紀州備長炭が赤々と燃えている網の上に乗せた。
「さあ、聞くよ。その困った話とやらを…」
大将がカウンター越しに身を乗り出してきたところに、翔太がカバンから白い封筒を取り出し、訳を話し始めた。
「ただいま…」
「ずいぶん遅かったじゃない…」赤いカーディガンの上からエプロンを付けた櫻子が夕食の支度をしていた。
「ん…ん、落とし物をしちゃたんだよ。それを探していたら遅くなっちゃって…」
「何を落としたの?」
「堀越からの手紙を…」
「え…あれって、うちの住所が書いてあるじゃない…。いやだ、悪い人に拾われたら悪用されちゃうわよ…」
「…」
「ところで、中身は見たの?」
「まだ…」
「え…じゃあ、何が書いてあったか分からないまま落としたの…?!もう、最悪ね…」
「きっと中身は、今度の箱根駅伝の帝都大学総合優勝の祝賀パーティーの案内だよ。」
「そんなこと、開けてもいないのにどうして分かるのよ…!」
「あ…「丙午生まれの女性は何とやら」…とはよく言うな…」と思いながらも、秀幸の心の中で、この未開封の封筒を落としたことで祝賀パーティーの存在を知らなかったと言い訳ができ、当時のメンバーや関係者にも会わずに済むと一抹の安堵感を覚えた。と当時に、このまま封筒が出てこなくてもいいや…との邪心も心の片隅に芽生えた。
「落とした場所の心当たりは?」
「午前中に行った病院やその後に立ち寄った場所や乗り降りした鉄道会社に電話して聞いたけど、どこも「ない」って言うんだ…」
「ん…困ったわね…」と二人で肩を落としているところに、櫻子のスマホの電話の着信音が鳴った。
「もしもし…」
「あっ、さくちゃん!元気?」と、スマホのスピーカーから声が聞こえた。
しばらく櫻子と相手との会話が続いた。
すると櫻子がスマホを秀幸に受け取るよう促した。
「「旦那いるか?」だってさ…」
「旦那って俺のこと?誰から?」
「波野君…」
「波野?」突然のことで、どこの波野だかすぐに理解できなかった。秀幸は恐る恐るスマホを受け取り、耳に当て「もしもし…」と言うと、
「おお、秀か?久しぶり!たっちゃんこと波野辰次郎だよ…。」久しぶりに聞く声だった。
たっちゃんこと波野辰次郎とは、秀幸と同じ帝都大学の同期の駅伝部員で、30年前の箱根駅伝の復路9区のランナーで出場し、1位で鶴見中継所にて10区の秀幸に「帝都大学」と縫い込まれたギンガムチェックの襷を渡した男であった。