Sanpouji Storyteller

交錯する都会の中で織りなす5人の男女の物語

眼鏡とベストとギンガムチェック(4)ー羽の章Ⅰ

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第4章

「昭和64年の1月3日の朝を迎えました。天気は晴れ、気温も平年に比べ暖かく、小春日和となりました。第65回箱根駅伝大会は、昨日の劇的な往路優勝を飾った帝都大学が午前8時の号砲と共に復路の芦ノ湖をスタートしました。最終区の10区まで、1位の座を他校に明け渡すことなく、「帝都大学」と書かれたギンガムチェックの襷を引き継いでまいりました。帝都大学のトップランナーが皇居前の日比谷通りに差し掛かってきました。

 このまま選手は馬場先門を右に折れ、中央通りを走り日本橋を渡り、左に曲がるとゴールの大手町 読売新聞本社前となります。それでは、ゴール地点におります河西アナウンサーに現地の状況を聞きましょう。河西さん!」

 

「はい!河西です。ここ大手町の最高気温は14.1度と長距離ランナーにはやや暑い気温となりました。大手町の読売新聞本社前にはたくさんの応援客が旗を振っております。1位ランナーのゴールを今か今かと待ち望んでおります。」

 

「おっと!1位選手の姿が見えてきました。往路5区の箱根の上り坂で5人を抜き、往路優勝を遂げた帝都大学は、復路 芦ノ湖のスタート以降10区まで1位をキープしてきました。その帝都大学10区のアンカーの4年生 寺嶋 秀幸が懸命に最後の力を振り絞って走っております。額からは大粒の汗が滝のように流れています。

 あ~だいぶ苦しそうな表情です。首が左右に大きく振れています。ゴールには帝都大学駅伝部の仲間が、心配そうな面持ちで、「早く来い、早く来い」と手招きをしながら応援しています。沿道の応援も盛んにおこなわれています。さあ、ゴールまであと100メートル。帝都大学の駅伝部創部以来の初の総合優勝は、まず間違いないでしょう。」

  

  左右の沿道に多くの人が、自分に対して色とりどりの旗を振っているのが、ぼやけながらも見える。「頑張れ!あともう少し!」という老若男女の声援もかすかに聞こえる。

「足が重い…苦しい…暑い…仲間が待っている。ゴールしなくちゃ…」襷をギュッと握

りしめた。頭でそう思っていても体が前に進まない。

 

「おっと!寺嶋、どうしたことか!その場に崩れ落ちました。ゴール直前にハプニングが起こりました。道路に寝転んでしまいました。全く動きません。何があったのでしょうか? 1位の選手がゴール直前で倒れるなんて、箱根駅伝大会史上初めてのことです。帝都大学の監督をはじめ、部員たちがゴール前で呆然と見ています。ああ…後続の選手がこの状況を横目にどんどんゴールしていきます。」

 

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「秀ちゃん!しっかりして!目を覚まして!」

 聞き覚えのある女性の声がかすかに聞こえる。でもすぐに目を開けることが出来なかった。体が重い。

 体をゆすられたのを感じた。そこではっきり意識が戻った。

 

「大丈夫?もう昼過ぎよ!いい加減に起きてよ!」

「えっ?!」ようやく目を開いた。目の前に妻の櫻子がいた。

「ひどい汗ね…またあの夢見たの?この時期の恒例行事ね…」

「さあ、とっとと起きて!布団干すから…。」

 布団をはぎ取られた。櫻子はベランダに布団を干すために窓を開けた。冷たい風が部

屋に入り込んできた。

「寒っ!」

「汗まみれのパジャマは洗濯機に入れておいてね。」ベランダから声がした。

 

 部屋着に着替え、居間のテレビのスイッチを入れた。アナウンサーの声。

 

「平成最後の第95回箱根駅伝大会は、帝都大学の駅伝部創部以来の初の総合優勝で幕を閉じました。胴上げを終えた駅伝部監督の堀越夏雄さんにお話をお聞きします。」

 

 「堀越監督、初の総合優勝、おめでとうございます!今、どんなお気持ちですか?」

 

 「ありがとうございます。ただただ嬉しいです。選手全員にありがとう!よくやった!と褒めたたえたいです。」

 

 「思えば30年前、結果的に昭和最後となりました昭和64年の箱根駅伝大会では、帝都大学の最終10区のランナー寺嶋選手のゴール直前でのアクシデントにより、惜しくも総合優勝を逃しました。その時の5区の箱根の上り坂で5人のごぼう抜きをし、往路優勝を成し遂げた『箱根の韋駄天』と異名を取った伝説の走者が当時4年生で出場した堀越監督でした。そういう意味で最後まで気が気ではなかったのではないでしょうか?」

 

 「はい。最終ランナーが復路のゴールをするまでは気が抜けませんでした。」

 

 「監督は昨年、帝都大学の駅伝部の監督に就任されました。昭和64年の大会以降、帝都大学は箱根駅伝の出場が叶わなかったのですが、今回は予選からの参加で、監督就任1年で見事総合優勝されました。どのような指導をされたのですか?」

 

 「指導なんて特にないですよ。各選手のいいところを引き出し、レースで最大限のパフォーマンスができるようコーチングしただけです。」

 

 「確か堀越監督は帝都大学を卒業されてからは、マラソン選手をスカウトする名高い多くの企業からの誘いを断ってマラソン選手の道には進まず、商社に入社されて敏腕営業マンとして世界各国で活躍されたと聞いておりますが、そこでの体験が監督として生かされたのでしょうか?」

 

 「そうですね…特にベトナム支社で働いた時の上司が非常に素晴らしく、部下に対する指導がとても上手でした。」

 

 「どのような指導者だったのですか?」

 

「その方のモットーは、『大きな耳、小さな口、優しい目』です。とにかく部下の考えを聞いてくれて、それに対して的確なアドバイスをしていただき、失敗しても決して責めず、次のチャンスを与えてくれた上司でした。」

 

「平成最後の箱根駅伝大会を飾るにふさわしい帝都大学の見事な初の総合優勝を成し遂げた堀越監督にお話を伺いました。それではマイクをスタジオに返します。」

 

 

「あら?!今の堀越君じゃないの?」

櫻子がテレビを横目に、コーヒーを持ってきてくれた。

「……。」

コーヒーをすする。「熱っ!」コーヒーカップをテーブルに置いた。

「堀越君、学生時代と変わってないわね…」

「……」

「当時の女子たちの憧れのイケメン先輩だったもんね…」

「俺は?」

「……。お昼ごはん何する?もうおせち料理は飽きたわね。近所に新規開店したラーメン屋でも行かない?その後、初詣に行きましょうよ。」

  

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世間では松飾りはすっかり取れ、通常モードに戻ったある日のこと。櫻子は仕事のロー

テーションの関係で帰りが遅くなると言っていた。自宅ポストの中には近所のピザ屋や

寿司屋のチラシが数枚入っていた。それらを取り上げると上質な紙を使った真っ白の封

筒が1通まぎれていた。

宛先は達筆な毛筆で「寺嶋 秀幸 様」と書かれていた。

「ん?」と思いながら、裏の差出人を見た。

 

  そこにはこう書いてあった。

帝都大学 駅伝部 監督 堀越 夏雄』